南紀勝浦温泉・ホテル浦島の歴史

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南紀勝浦温泉・ホテル浦島は年間約17万人(2023年10月~2024年9月)が宿泊する巨大観光ホテルです。

中には「ホテル浦島の歴史が知りたい!」という方もいらっしゃるでしょう。

そこで今回はホテル浦島の歴史を紐解きたいと思います!

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創業者・浦木清十郎氏について

出典:片言たじたじ旅2

ホテル浦島の創業者・浦木清十郎氏(1930~2011年)は山林王だったそうです。

所有していた山林の面積は『自身の土地を通って大阪までいける』ほど。

浦木清十郎氏は若いころにアメリカ留学し、アメリカで学んだ大胆なアイデアでホテル業に乗り出しました。

「ホテル浦島には目新しいもの(時代の最先端のもの)を!」という信念から下記の施策を次々に打ち出していきました。

●約70年前は珍しかったバイキングを導入!

●高さ15m、奥行き50mの切り立った岸壁にある洞窟を大洞窟温泉「忘帰洞」に大改装!

●長さ日本一と言われる長さ154mエスカレーター(4基合計)を建設!

ゆかいタローゆかいタロー

浦木清十郎氏なくしてホテル浦島の誕生は無かったでしょう。

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ホテル浦島の宿泊レポート2025年2月編

ホテル浦島の創業は1957(昭和32)年

1957(昭和32)年ころの浦島旅館

ホテル浦島の創業は1957(昭和32)年4月です。※ 1956(昭和31)年12月に株式会社浦島温泉設立。

創業当時は旅館「忘帰洞」という名前だったそうです。

創業当初の忘帰洞

創業から2年経った1959(昭和34)年9月、伊勢湾台風が発生し、旅館「忘帰洞」は大きな被害を受けたそうです。

1959(昭和34)年以降の忘帰洞(伊勢湾台風後)

同じ頃(1959年9月)、狼煙山ケーブル(浦島鋼索鉄道)の工事に着手。

1959(昭和34)年ころ

当時は27室、73名収容。山頂に向かって伸びる狼煙山ケーブル(浦島鋼索鉄道)は建設中でした。

1959(昭和34)年8月、狼煙山ケーブル(浦島鋼索鉄道)の敷設工事完成。

1961(昭和36)年8月、狼煙山ケーブル(浦島鋼索鉄道)の運転営業を開始。全長160m、定員20名、料金片道30円、往復50円

1976(昭和51)年3月、ホテル浦島・浦島鋼索鉄道 閉鎖。

創業約10年で宿泊定員約2,200人の巨大ホテルに

1965(昭和40)年当時のホテル浦島

1960(昭和35)年、1961(昭和36)年に一号館、二号館を新築。

1962(昭和37)年2月、旅館名を「忘帰洞」から「浦島」に改称。

1964(昭和39)年2月、旅館名を「浦島」から「ホテル浦島」に改称。

1964(昭和39)年9月、ホテル浦島本館を新築。

1964(昭和39)年 本館新築後

1965(昭和40)年、山上館、赤島館新築工事。

1965(昭和40)年 山上館、赤島館新築工事

1965(昭和40)年 山上館、赤島館新築工事。

1975(昭和50)年頃の航空写真

ゆかいタローゆかいタロー

年表を見ると、すごい勢いで拡大していったのが分かりますね。

さらなる拡大へ

1981(昭和56)年、日の出亭(旧館)を購入。

日の出亭(旧館)は以前、「ホテルながやま」という旅館名だったようです。

1990(平成2)年、日の出亭(現:日昇館)工事

1990(平成2)年、日の出亭の工事に着手。1993(平成5)年に新築開業。

日昇館(旧:日の出亭)

なぎさ館(旧:ごんど館)

1993(平成5)年、ごんど館(現なぎさ館)新築開業。

1991(平成3)年、エスカレーター工事

1993(平成5)年7月、エスカレーター開通。

2020(令和2)年、老朽化した施設の解体(1・2・3番館、赤島館、宴会棟)。

2019(平成31)年、耐震工事前(老朽化した施設の解体前)

2020(令和2)年、耐震工事後

新経営体制が発足。関西ナンバー1の温泉リゾートホテルグループへ

出典:産経新聞

2023(令和5)年12月、「日本共創プラットフォーム」(JPiX、東京)に事業が承継され、新経営体制が発足しました。

日本共創プラットフォーム(JPiX)がホテルや旅館の経営を引き継いで強化し、観光産業を中心に紀南地方(紀伊半島南部)の活性化を行います。

「関西ナンバー1の温泉リゾートホテルグループを目指していく!」のだそうです。

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