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「今度、片山津温泉の矢田屋松濤園に泊まろうと思うけど、矢田屋松濤園の歴史を知りたい!」という方はいませんか?
そんな方のために矢田屋松濤園の歴史を調べてみました。
ぜひ参考にしてみてください!
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矢田屋の創立
明治の頃の柴山潟は、瓢湖(ひょうこ)とも言われ、現在の三倍の面積を誇る湖でした。
しかし、たびたび水位が上昇し、水害が発生していました。
そして、開湯20年目の明治29年、片山津は水害に見舞われ、泉地は壊滅的な被害を受けてしまったのです。
その後水が引き地域再興のため、同年(明治29年)、月津村に住む初代・矢田松太郎氏が、被災した旅館を買い取り「矢田屋」を創業しました。
同年(明治29年)、北陸本線が開通し、動橋に停車場が設けられ、本格的な温泉街発展の礎となりました。
以来、百有余年。
軍施設への転用や温泉街の大火災を乗り越え、その間、皇室や数々の文人墨客の逗留を数え、「片山津の歴史は矢田屋の歴史」とも称されるようになったのです。
矢田屋本館の新築
大正末期、創業時の旅館の全面改築が行われました。
木造2階建ての本館が新築されました。
矢田屋本館の離れ
大正末期には本館の離れもありました。
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現在
2016年2月1日に湯快リゾートグループに統合となりました。
そして、2024年11月1日より大江戸温泉物語わんわんリゾート矢田屋松濤園にリブランドされる予定です。
裏話
矢田屋松濤園から徒歩2分程の場所に「季がさね」という旅館があります。
実はこの「季がさね」、以前は「矢田屋梅光閣」という旅館だったそうです。
「季がさね」は矢田屋松濤園の姉妹館だったのです。
そう考えると、最盛期の矢田屋がどれだけ凄かったかが分かります。
「片山津の歴史は矢田屋の歴史」と言われたのも納得です。
「矢田屋梅光閣」は、2006年7月に加賀観光ホテル別館「季がさね」として再スタートを切りました。
しかし、その加賀観光ホテル本館も2020年9月に休館となりました(季がさねは営業中)。
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